2018年上半期 My BEST Movie

 今年の大きな転換点とし挙げられるものの一つが、映画館で映画を観るようになったことだ。やはり家の液晶画面で観るのとスクリーンで一時停止することなく観るのは全然違う。なので映画館で観たものは若干評価が甘くなっていることもある。

 だが、大抵の作品がCSでの放送作品ばかりなので、2018年と題しているが正しくは2018年に私が観た作品ベストである。そして上位にある作品ほど感慨深いものである。

『シェイプ・オブウォーター』これは公開日に観て生涯ベストになると確信した映画。本当に大好き。

『草原の実験』この作品も生涯ベスト。映像美に圧倒される。

羊たちの沈黙』名作と呼ばれる作品はそれ相応の価値があることを改めて実感した。

『トラスト・ミー』多分田舎のレンタルビデオ屋ではお目にかかれない作品。ザ・シネマに感謝。

『幸福』ストーリー、映像ともに最高。

『スウィート17モンスター』拗らせティーンムービー。ウディ・ハレルソンが先生役なのがツボ。

木靴の樹』実際に村の人々の生活を垣間見ているよう。だからこそ不条理だ。

ルアーブルの靴磨き』排他的な今の社会で人の温かさを少し信じてみようと思える作品。

『ジャンゴ 繋がれざる者』タランティーノ作品の中では今のところ一番好き。

籠の中の乙女』ランティモス作品の中で一番好き。

『スポットライト 世紀のスクープ』新聞社もので女性が記者としてバリバリ働く姿が良い。

『すてきな片思い』最後のショットが素敵。

『雨のニューオリンズロバート・レッドフォードが若かった頃の作品。廃れた町と線路が良い。

レディバードレディバードケン・ローチ監督作品は好き。

『レイニング・ストーンズ』上と同じく。

『ヘイトフル8 』人々の私利私欲が複雑に絡まるのが面白い。

『ボーダーライン』ヨハン・ヨハンソンの音楽が出口の見えない洞窟にいるようで作品によく合ってた。

ヒズ・ガール・フライデー』皆めちゃくちゃ喋るし、ドタバタしていて面白い。

『クリエイター』マッドサイエンティストものの中で割と好き。

カポーティ』フィリップ・シモーア・ホフマンの演技が素晴らしい。

『シングストリート』曲とファッションが良ければ映画は大体それなりに仕上がるんだよ。

『素晴らしき戦争』面白い。最後のシーンは圧巻。

『抵抗』初ブレッソン作品。撮影が特徴的で癖になる。

『グローリー』映画全体に絶対良いものを作るぞという気迫を感じる。主題歌も素晴らしい。

『奇蹟ががくれた数式』イギリスの大学ものだが割と戦争と植民地支配について向き合っている話。

『奇跡の教室』ロビン・ウィリアムズよりきちんと生徒を方向付けてくれる先生の方が良い。

『わが青春のフロレンス』若者2人の貧しい生活の描写が良い。

太陽に灼かれて』ロケーション撮影がとても良い。

『手錠のままの脱出』黒人差別について甘い感じもするが、手錠で繋がれたまま過ごす設定が面白い。

ニュールンベルグ裁判』裁判映画

アイヒマン・ショー』裁判の途中で視聴者が飽きてしまう点が放送する側を描いているからこそだ。

 

 

 

 

まだ名もなき者

私は今やりたいことがはっきりしていない。

ただ周りが言うこと、していることをただ考えもなしに流されるまましている。

惰性で生きているのだ。

だから地下鉄が通っているのをただ眺めているだけのような毎日を送っている。

その間幾度となく扉が開き乗客が出入りしている。私とは多分二度と会わない人たち、会ったとしてもきっと覚えていることなんて人たち。人々そして強い風が通り抜ける。

アイデンティティを表す服装も私は持たない。何年も変わらず同じ服を着ている。

だが乗客の潤いが消えてしまている髪や黒くくたびれてしまっている靴がいちいち目につく。膝のところが破けた自分のジーンズのことなんか全然気にならないのに。

 

平凡な毎日をどうにかして送っている。

時々、いや息を吐くたびにこの日々から抜け出してどこかに逃避したい気持ちでいっぱいになる。

最低限の人々としか話さず、残りはただ液晶画面を見て過ごすだけの日々。

変わるとしても画面に映し出される文字の話題が移り変わって行くだけ。

年を重ねるごとに得るものはメガネの度数が増えること、そしてフォローする人々の数、取るに足らない知識。

こうやって長い長い人生を過ごして行くと思うと残りの年数が私には勿体無いくらいだ。

どうやってこれからも過ごして行くのだろう。

今から考えるのも杞憂に過ぎないが、時々将来を想像すると悪寒がする。

テレビに次々と出てくる若い女の子たち、彼女たちはある時期を通り越したらまるでお払い箱に入れられたように、表舞台から見なくなり、新しい子がその場を飾る。

見かけなくなった彼女たちは、それでも何処かでその存在をアピールせずにはいられなくて、意図が見え透いた写真なんかをアップして暮らしてゆくのだろう。

ただそれを無表情でスワイプする姿が将来の私の姿なのかもしれない。

人には生き方が多様にあって正解なんて存在しないのに、大多数のものが無難であって王道であるからか、それを望んで中途半端に終わってしまう。

そしてSNS上に蔓延る写真で切り取られた姿の前であまりにも無残に心が砕けてしまう。

別に持ち物や容姿でその人間を判断してしまえるという考えでいる自分に軽蔑をしてもいいくらいだけれど、持っている人の前では誰しも自分が劣っていると考えたり、惨めな気分になったりすることは1度とないし経験したことがあるだろう。

それが永遠と続くのだから、私たちは便利で快適な時代に生まれたのか、それとも個人のコンプレックスや卑屈な精神を助長するのに長けた時代に生まれてしまったのかよく分からない。

だが、何か行動を起こさなければそれこそ時代の被害者になるだけだ。

傷を負うのは嫌だが、立ち上がって、戦わなければならないのだと思う。

そして自分がこれまで擦りむいてできた傷跡を愛せるように、癒せるようになれるよう暗闇の中をもがかなければならないのだと思う。

 

Love Yourself