『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

ダンサー・イン・ザ・ダーク』(原題:Dancer in the Dark) (2000年)

監督・脚本:ラース・フォン・トリアー

製作総指揮:ピーター・オールベック・イェンセン

撮影:ロビー・ミューラー

編集:フランソワ・ジェディジエ モリーマレーネ・ステンスガート

 

 チェコからの移民であるセルマ(ビョーク)は息子ジーン(ヴラディカ・コスティック)と慎ましやかに暮らしている。彼女は遺伝性の病気が進行しており、ほとんど目が見えない状況の中、友達キャシー(カトリーヌ・ドヌーヴ)と地元の劇団の練習になんとか参加するとともに、工場で働いている。また、その傍ら失明しないための手術を息子に受けさせるためお金を少しずつ貯めている。そんな中、彼女は隣人であり家の大家である警察官ビル(デヴィッド・モース)に悩みを打ち明けられ、自分の目が一年以内に失明してしまうという秘密を明かす。

 

 鬱映画として有名なこの映画は題名をよく聞くものの、未見の作品だった。しかし、Netflixのラインナップに入っていたため、これを機に重い腰を上げて見た。正直な感想として、私はあまり鬱映画だとは思わなかった。そもそも、鬱映画とはどのような定義で話されているのか定かではないのだが、軽く調べたところ後味の悪い映画、陰気な作品のことを指すらしい。この定義から言うと、私はあまり後味の悪い映画とは思わなかった。むしろ、お金が無い状況に置かれたら、自ずと選択肢が狭まってしまうため、ただ彼女はあの結末を選んだのだと割り切って考えることが出来ると思った。困窮した中で登場人物たちは自らが最良と思う選択を行なったまでだと思った。

 

以下ネタバレを含む

 隣人のビルは遺産を使い果した上に浪費家の妻リンダ(カーラ・シモーア)の買い物によって家計が火の車であることをセルマに打ち明ける。セルマは息子ジーンの自転車を買うのも躊躇うような倹約家であることをビルは知っているので、この時彼は親しい隣人としてセルマに話を聞いてもらいたい程に切羽詰まった状況であったことが伺える。しかし、彼女がジーンのために貯金をしていることを知ったことで状況が一転する。ビルはセルマの視力の悪さを利用してセルマがお金を貯めている場所を知る。そしてビルはセルマのお金を盗み、リンダに嘘をつき、修羅場と化す。これは、ビルが自分のプライドを失わない形でどうにか借金によって首が回らない状況を繕いたいという思いから惨事が起こる。また、セルマも弁護士を雇うと自らの刑を軽くすることが出来るが、そうすると息子の手術が行えなくなる。そのため、彼女は死刑を選ぶ。この作品では優しく、思いやりに溢れる人物ばかり登場するが、経済的に困窮すると悲惨な死を遂げてしまうことが運命付けられていると言える。追い詰められると思わぬことをやってのける姿がどこかドストエフスキーの『罪と罰』っぽい。

 セルマが歌って踊ることを何よりも好んでおり、それは劇団に参加したりミュージカル映画を観たりしている姿から伺える。また、彼女が工場で働いている時や、裁判所、刑務所など精神的に追い詰められた時の逃避場としてミュージカルが挿入されている。彼女が映画館で見ているのは白黒のミュージカル映画だが、そこでかかっていると思われる音楽と彼女自身のミュージカルシーンの音楽のジャンルが程遠くて、いくら空想でも現実からは完全に逃避行することは出来ないのだと感じた。また、死刑が延期されるか刑務所で待っている時には、『サウンド・オブ・ミュージック』の "My favorite things"を必死に歌っていても、決してミュージカルシーンに突入しないことから彼女が非常に追い詰められた精神状態にあることが伺える。しかし、息子がいることを明かしたことをきっかけに、なぜか親身に思ってくれる刑務官ブレンダ(シオバン・ファロン)がリズムをとってくれながら死刑台へ進む時はミュージカルシーンに突入しており、その後の彼女の取り乱している様子からこのミュージカルシーンがどこかやっつけぽくも感じる。

 基本的に会話シーンはクロースアップばかりで、セルマの表情をずっと観察せざるを得ないカメラワークである。そして手持ちカメラでブレているため、ドキュメンタリーぽくも感じる。特に死刑台に上がるために用意されている独房においては、ブレまくりのカメラが次々と入ってくる刑務官の姿を慌ただしく撮影し、セルマの顔の超クロースアップを撮るので単に動きを追っているように感じる作りになっている。一方で、ミュージカルパートではショットの数が段違いに多くなるため、彼女の心の躍動感を一身に感じられるようになっている。しかし、ミュージカルには珍しく画面の横の広がりがあまりないため開放感は感じられない稀有な作りになっている。

 セルマのクローズアップを行うことで、必然的に彼女に感情移入することになるが、セルマに対して引きでかつ短い時間しか映らない脇を固める俳優たちがとても良い演技をしているので関係性や性格を伺うことが出来る。

 セルマが息子を想う気持ちは会話から感じられるが、実際にセルマがジーンと会話しているシーンは少なく、二人の関係性が希薄であるように感じた。また、友人のジェフ(ピーター・ストーメア)とは恋仲にはならないというセルマの気持ちが強く、ジーンの父親について全く触れらてないので彼女の恋愛にあまり深追いしないのがこの手の映画としては珍しいと思った。また、刑務官やキャシーなど彼女を取り巻く女性との親交が手厚く描かれていて、ベクテルテストは優にパスする。しかし、その他の登場人物と同じく彼女らの生活は全く描かれていない。あくまでもセルマの物語としてこの作品は描かれている。